今日の晩ご飯は焼き魚でしたが、夫も私も手がベタベタになり、
「これ、行儀悪くない?(笑)」という話になりました。
家の中だし、夫も私も似たり寄ったりのレベルなのでいいとしても、
改まったレストランなんかで魚を食べる時には、やっぱり恥ずかしい。いい大人ですし。
その前に、魚は注文を避けるかもしれません。
焼き魚の身をほぐすのは、それだけ私にとってハードルの高いもの・・・。
【小さい子のチャーハンの食べ方を叱るべきか?】
マンガ「目玉焼きの黄身 いつつぶす?」4巻第22話「炒飯 どうやってすくう?」には、
炒飯のご飯粒を手前にかき集めて、指でスプーンに寄せて食べている子供が登場します。
それを見た主人公のジローは、親御さんに「叱らなくていいんですか?」と訊く。すると、
「恥をかけばいい!」・・・かっこいいな(笑)見守る愛でしょうか。
”口出しするばかりが愛情ではない”というフリーダムなポリシーを感じます。
(何が正しいとかは断言できないけど)
各家庭でそのあたり、かなり差が出そう。
そう、食べ方って「育ちが出る」と昔から言いますよね。なので、
大人になった今、「食べ方が悪い」と周囲に悟られることは、イコール、
「家庭がなってなかったんだな」「親のしつけが悪かったんだな」ということになる。
つまり、食べ方が悪い=親への遠回しな非難、とも取れます。
たしかに、我が家はそんな上等な家ではなく、かなりラフな雰囲気でした。
”三角食べ”や早食いは叱られたものの、お箸の持ち方なんかはスルーされてきた。
”しつけが行き届かない”といよりも、あまり細かく見ていない感じ。
いっぽう、私のお金持ちの幼馴染は、ビシバシ手を叩かれ、食べ方の作法を叩き込まれ、
小さい頃は「あそこのウチは厳しくて可哀想だなあ、自分はウチみたいなので良かった」などと
アホなことを考えてたのですが、大人になった今、どんな場所へ出ても問題ナシの友を見ると
「ああ、あれも親の愛情の1つだった・・・」と気づかされ、
我が身を振り返って恥じ入るのです。
むしろ私の親には、幼少期にそのあたり、厳しくしつけて欲しかったような気もしている。
大人になってから恥をかくべきなのか、子供のうちに苦労しておくべきなのか、
どっちがいいのか分からない。
【焼き魚の食べ方がキレイだと尊敬される】
子供のころ、山荘に旅行に行ったときに、大勢でアユを食べました。
串刺しにしてあるんだけど、お箸がついてたのでお箸で食べようということになり、
みんな手をベタベタにしながら、ホネや内臓を避けるのに夢中。
そして全員が食べ終えたとき、とあるふつうの家(超お金持ちではない)で育った子が、
手をいっさい使わず、アユをカンペキに食べ終えていたんです。
その子以外は全員、お皿はぐちゃぐちゃ、口の周りも魚の脂だらけ。
皮が散乱して、見るも無残でした。でもその子だけは、涼やかな食べ終え方。
山荘のお兄さんが言いました。
「君すごいな!育ちがええんやな(笑)」と。
まだ小学生なのに、大人でも難しい完璧な骨身の剥がし方。
みんな一目置くような感じで、その子をまばゆく見ていました。
こういうのはお金持ちとか無関係に、
ただただ「良い家庭に育った子」の印象を強烈に残すのです。
大人になって定食屋さんにいくと、多くの大人が手を使って魚の身をほぐしている。
そして、私も夫も手を使わないと、魚を最後まできれいに食べられない。
当時のあの子に劣っているんだけど、今さらどうしろというのか(笑)。
もちろん努力の余地はあるんですけどね、ヤルキ次第で。
ですが、幼少期に教わったことが”人となり”を作る気もしている。
いっぽう今日も私、お魚の身が残り少なくなるにつれ、手を使うしかなくなった。
そして、口に混入したホネを出すときも、手を使ってしまった。
うーん、育ちが悪いなぁ(笑)
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